ひさしぶりにパソコンから更新した。今さらだけど、2008年を振り返ってみる。
やはり大きかったのは、右の耳を悪くしたことだと思う。初診が見当はずれでステロイド投与が遅れたという側面もあるんだけど、あの時すぐにステロイドを飲んでいても、これは避けられなかったんじゃないかと思う。今も末梢血管の血流をよくする薬や、末梢神経に働く薬などを飲んでいるけれど、(治るとは信じ続けている一方で、現実の身体感覚を慮るに)正直気休めでしかないのかなと思う。一時は音楽を聴くこともつらかった。今は聞こえが悪いなりにも、音楽鑑賞を楽しんでいる。ただ、音量を上げると壊れたラジオのようにひずんで聴こえるので、あまり大音量では聴いていない。
右の耳が悪くなり、当初の本当に聞こえが悪くてつらかった時期を、結果的にひとりで乗り越えてしまったこともまた、大きなことだったと思う。本当につらくて、未来が真っ暗で、怖かった。でも、ひとりで乗り越えた。ひとりで部屋にいて、なにもしないで、それでも(今よりも大音量で届く)極端な耳鳴りを受け取る自分に向き合って、受け入れて、ありのままの自分を信じて、たぶん少し悟ったようなところもあった。死ぬための訓練をつんだような感覚があった。よかったと思う。たとえまわりに誰かがいても、最後は自分がこれを受け入れなければならないんだと思う。投薬をはじめた最初の週末は、外に出かけると耳に入る音に絶望しそうだから、ずっと部屋にいた。「FULL MOON」というNASAの蔵出し画像による月の写真集を眺めて、あとは誰もいないのに、ずっと笑顔を崩さないことを心がけた。そうして幸せの感情を自分から掴みにいった。

Full Moon

Full Moon

仕事に関しては、とてもいい年になった。実務面はもちろん、コミュニケーションにおいて、常にプラスの感情で、かつ“先手”を心がけた。それが評価された。具体的には、常に自分から笑顔であいさつをした。もしかすると、あるタイプの人にとってはそういうあり方が、彼彼女の持つコンプレックスを刺激したのかもしれない。ただ、私は正しいことをしているのだから、それはそのままでいいと思う。前向きなコミュニケーションを心がけていれば、正しい人がまわりに寄ってきてくれる。だから私は2009年も開いた人でいたい。その上で、もし両立できれば、優しい人になりたい。
私生活では、2008年の後半に入って、本をたくさん読むようになった。じつは心理学にまつわる本を特に読み漁った。このことは今後の私にとって、よい糧になると思う。また、右耳が完全にふさがっていた身体感覚で、はじめてメンコのソロライブを踊りきったことも、大きな自信をもたらしてくれた。当時は片耳に水がたまって、完全に狂った音しか聴こえなかったため、自分のサパテアードもパルマも、強弱がてんでわからなかった。さらに片耳がおかしいことが、身体の平衡感覚にも大きく影響した。いつもは決まる回転がどうしても決まらなかった。結局は、そのずれた身体感覚で回れるように特訓して、本番を踊りきった。結果的に突発性難聴だったのだから、本当は踊ってはいけなかったのかもしれないけれど(当時は踊っても大丈夫といわれていた)、踊ったことで耳をおかしくしてしまったことより、あの時、あの身体感覚でも諦めず、練習して練習して、あの身体感覚なりに本番を踊りきったことで得られた自信のほうが、今後の私にとっては大きいと思う。加えて、踊りについても、とてもいい評価をもらった。これは、耳がどうのということとは関係がない。
個人的にブームだったのは、フィヨルドの画像。職場のパソコンのマイピクチャフォルダに、ネットで拾い集めたフィヨルドの写真をたくさんコレクションして、スクリーンセーバーにしている。昔から海だとか湖だとか、水平線のある風景に心が惹かれる。前職にしてもそもそもは、水のある風景に呼ばれたのがきっかけだった。あとは、月面など宇宙の写真。NASAの公式サイトにある「今日の一枚(Image of the Day)」の過去画像から気に入ったものをダウンロードして、やっぱりスクリーンセーバーや壁紙にしている。2008年の前半はモンティ・パイソンも熱かった。英語や文化だけでなく、世界史の勉強にもなった。
つらい出来事はすべてサッカーがらみ。チャールトンと、カーブスがハマーズを去ったことと、エンパテさんの更新が止まったこと。