あまりに休まず働いていて、かつ、そもそも休みをどういうふうに取るのかだとかもわかっていなかったおかげで、今になって6月中旬までに消化しなければならない定休が9日もあるのだと判明した。なので、仕事が遅れる危険を孕みつつも、取るべき休みは取らねばということで、まずは次の月曜を休むことにした。思いがけない年度末の三連休になった。ただ、来週も取れたら月曜に休もうかなと検討している。物理的にまるまる一日の休みを取れるのは、月曜ないしは木曜しかない。とはいえ、4月から5月がいわゆる仕事の繁忙期なので、本当に消化できるかは微妙なところ。
妹も年度末で忙しいというので、金沢への帰省は次回以降に見送るとして、今週は今日をフラメンコとくちなしの鉢替えと衣服の整理に費やし、明日明後日をどうしようか、あらためて考える。引き篭もって未読の本を読むのもいいし、近場の行楽地へ出かけるのもいい。一日検討する。
午前は銀行へ行き、生活費をおろしたり、預金を確認したり、家賃を振り込んだりした。週の切り替わりの兼ね合いもあり、2月は4週分の生活費で5週まで引っ張ったんだけど、問題なく過ごせてしまった。それでも使うお金は使ったと思う。前がいかに浪費家だったかということ。
男性だけでなく、女性の立場からしても、生活が便利になった今の時代は、ひとりで十分に暮らせる稼ぎがあるなら、少なくとも結婚の必然は感じられない。これからは、結婚したい人がして、したくない人はしないという世の中になるんだろうなと思う。独身女性といっても立ち位置はいろいろだけど、私は自由恋愛を推奨するタイプではないのね。それこそ身持ちは(男性の目から見れば)堅すぎる。まあこれは個人の事情込みなんだけど、いずれにせよ、腰を据えて惚れたひとりの人を応援したいと思う感情自体は、結婚という帰結に限定されるものではないのかなと思う。女性にとっても、ありがたい世の中になってくれたなと。

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ちょっと前に入れた話の補足。同性愛者の割合って、諸説あるから、なにが正しいのかは正直わからない。少なめに見積もっても、目に見えるレベルで3%前後、隠蔽努力者を含めて1割弱、ってぐらいじゃないかなとは思うんだけど。
私がよく使うのは、左利きの人がいる割合に近いんじゃないか、というたとえ。そうするとたいてい「そんなにいるの」と驚かれるんだけど、むしろそれぐらいは余裕でいるんじゃないかというのが個人的な感覚。どうなんでしょうねえ。ちなみに左利きの出現割合は、全人口のほぼ1割といわれてる。